本年一発目の作品が仕上がりました。
バイクを楽しむバイク乗りのための絵画です。*そして私は描くことを楽しませていただきます。

“Running wild and free
No-one dares to stand before me”(727×500mm)

鎖に絡み付かれた巨大なイーグルは
自分の翼で大空を舞うことももちろん出来ますが、
それよりも更に面白い乗り物を見つけ、叫びます。
「自由に走れ」
「俺を妨げるものは何もない」
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描く人は必ず、『何のために描くのか』を自分に問いながら描きます。
別に何のためでもないと分かっていながら自問自答を繰り返します。
『迷い』は憑き物(つきまとう妖怪)です。描いているときの迷い、
簡単にいうと
「こんなの描いていていいの?」と、考え続けてしまうということです。
私の場合、バイクを描くときはほぼ迷うことなくスムーズに描いて行けますので、
早いときは二日もあれば形にすることが出来るのですが、
バイク以外のものを描いているときは、今だある程度の『迷い』が付きまといます。
やっぱり描きながら迷うということは今やっていることが無駄に思えてしまうのですから、
しんどいことです。
しかし逆に考えて、作家と呼ばれる人のうち
その迷いなしに『確信』だけを胸に描き続けている方ってどれほどいるのでしょう?
完全な確信のもとで描くということは自分を完全に認めて疑うところがないということです。
そんなことは可能でしょうか?
おそらく・・
・・可能なのだと思えるようになってきました。
描きながら自然を感じるときがあります。
筆を動かしているだけで絵が勝手に仕上がっていくような・・
そんなときです。
誰かが描いてくれているような、不思議な感覚になります。
そんなときに『必然』を感じます。
これはおそらく、
自分で自分を認めているわけではなく、
自分のまわりを認めている感覚です。
『自分の確信』ではなく、誰の目の前にもある『自然で確かなもの』が自分を包み込んでくれるというのか・・
『パパ』が一言、
「これでいいのだ」と、包み込んでくれたような
なんだか分からないけど安心する、そんな感覚です。
確かなものに包まれて、自分がそこへ溶け込んでいくことができるなら
それは明らかに自分への『確信』となるでしょう。
*今回の作品、そんな“パパの一言”が最初から聞こえていました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



『四十にして惑わず』とは孔子の言葉です。
あと二年と少し・・・
でも、『惑う』と『迷う』はちがうので、やはり生涯『迷う』ことはあるのでしょう。
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