汽車も大好きなので、描いてみました。 B2010です。 ご存知の方も多いと思いますが、一応説明を付けますと、B型C型D型は片側にある動輪(動力が伝わる車輪)の数で決まります。 この機関車はB型ですから、動輪が片側に二つというわけです。 この機関車は動輪以外に車輪がなかったりと、とにかくコンパクトで、見た目にかわいらしい汽車です。 京都の梅小路公園に行くと、運がよければ実際に動いているところを見ることができます。 子供達と梅小路に何度も行きましたが、運よく車庫から出てきて試運転するところをバッチリ見たことがあります。 「京都に住んでよかったあ」と実感したことを覚えています。 更に、描いていく中でも、かわいらしさを強調してしまいました。 車輪の上に、色は暗いですが、かわいらしい家が乗っているようにも見えます。 かわいいついでに、ボイラーの先端に“顔を描いてしまおうか”とも思ってしまいました。  B2010 1100×920mm ※話は変わるようですが、その機関車〇ーマスの絵本やアニメを見ると、いつも少しだけ切なくなります。 それは、彼らがあれだけ意思を持っているのに、“絶対にレールの上でしか生活出来ない”ということを思ってしまうからなのですが、でも彼らは凄く楽しそうで、しかも仕事に生き甲斐を感じているのです! これを、“うまく仕付けられてしまっている”と考えてしまうから私は馬鹿です。 敷かれたレールの上を生きることは、つまらないことなのか?それとも、レールがあるからこそ目標が定めやすく結果として良かったといえるようになるのか? この絵本の原作は、1946年にイギリスの牧師さんが作られたそうですが、作られた国と時代を思いながら、今まで自分の前にレールがどれほど敷かれていたのか、どんなことまでをレールだったといってしまえるのか、自分で敷いたレールの限界は?、レールの上を歩けるだけマシ?などなど、ごちゃごちゃと考えてしまうので切なくなってしまいます。 そもそも人生のレールという概念は、そのレールがありすぎて既にレールではないような気もしますし・・・、 やっぱり、広く時間や時代ぐらいがそう呼べるものだと考えればいいのかな。 親になって思いますが、親が子ども達に身近なところでレールを“敷いてあげよう”とすることは、心から必然だと感じます。 あえて、しっかり導いてあげなきゃ!とは思いませんが、将来のことを考えるとある程度の短いレールは必要です。 本人達が“自分”を見つけるまでは、親(だけではなく地域や社会も含みます)が彼らの広い意味での意思ですから、極めて自然なことです。 でも、◯ーマスの親って、鉄道会社の社長さんなんですよね・・・。 (もちろん、鉄道の社長さんがダメということではなくて、この場合の子ども達は完全に道具として・・・) というところで、おしまいにしておきます。 B2010は子供達との思い出の汽車です、すごく楽しく描けました。 次はC型の貴婦人かポニーを描こう!(C56の160は、北琵琶湖で実際に乗りましたよ)  *B20、昭和20年から22年にかけて15両が生産されたそうです。 15両!!!だけです。梅小路の車両以外に現存するのでしょうか? ちなみに私の父は昭和21年(1946年)生まれで現存しておりますが、先述の絵本も1946年発表ですから、 B2010と◯ーマスと私の父は同い年。
スポンサーサイト
8-VALVEです。 大事に描きました。 描いてみて実感しましたが、本当にタイヤが大きいです。 形としては非常に美しいのですが・・・、 エンジンとタイヤしかない印象の上に、タイヤの大きさが強調されて、これに本当に人が乗るの?といった恐怖を感じてしまいました。 しかも、この時代のレースの路面は板!(ボードトラック) オイルを垂れ流してブレーキ無しで駆け抜けていたそうです。 信じられない! でもそんなレース一度見てみたい。  8-VALVE 1810×920mm ※この作品も本当にいいものに仕上がりました。 ですが、どうも緑色(錆緑青・黄茶緑など)が写真では上手く出てくれません。 実際はもっとふわっとした中にも落ち着きのある、『何ともいい色』としか表現できない”いい緑色”をしています。 HARLEYのロゴなど、実際に見ていただかないと伝わらない良さがいっぱいです。 そして、ステンシルです。 楽しすぎます。 しかし!、あまり大きな文字はステンシルには向いていないようです。 最初は「やってしもた!」というようなにじみが出てしまいました。 修正につぐ修正でなんとか見れるまで持っていきました。 これだけ修正するなら、最初から手書きの方が良かったのでは?と、考えてしまうほどでした。   でも、面白いでしょ。 *ある方の あるブランドのパクリですが、まあまあの出来ということで勘弁して下さい。 ちなみにANTAの下にはTRANSITION、YANKARの下はREBOUNDと、大好きなBasketBallの“最も大事な言葉”を刻んでいます。 *更に、ボディ側面下部の黒い帯とホイールの黒も自分で塗ったりしています。 こちらのロゴはHIACEの字体をそのままにステンシル!  いかがでしょう? こちらは完全オリジナル! MYACEロゴ(HIACEロゴをもじったもので普通に売っています)よりはイッケテルヤンカー! と、言ってあげて下さい。
前回の記事のついでにお見せします。 1810mmの幅で描いていた、DEMONです。 これも、“いい”と言っていただける方はいらっしゃいますが、私としては全く納得できないので、はっきり『失敗作です』と言ってしまいます。 しかし、時間だけは他の作品より数倍もかかっていますので、思い入れはものすごくあります。 なので、控えめにお見せします。  部分的にいい所はあるのですが、日本画の画材と、私の技量の関係がどうしても納得できない箇所を作り出してしまうようです。 (ライトの輝きなどすごくいいのですが・・・) *ちなみに前回アップした作品は洗い流してしまってもう存在しませんが、この作品は一応残しています。 もちろん失敗作をお見せするのはどうかと迷いに迷ったのですが、“試作品”としてお見せします。 次は必ず“これしかないわっ!”という作品を仕上げます! 待っててくださいね!◯◯さん! って、一人で勝手に盛り上がっています。
ついに描いてしまいました。 かの有名なある方の71DEMONです!と、言いたかったのですが・・・。 試作を繰り返さねばならないほど、私にとって車を描くことはとても難しいことのようです。 しつこくしつこく描ききって、見せる工夫も多く取り入れて、なんとかBlogでお見せできるだけの良い作品を仕上げることが出来た!と思ったのですが、どうしても納得できないので、やっぱりもう一度やりなおします。  *先日もフェラーリを描きましたが、車を描いてみると、私の頭の中に13年前の芸大卒業制作展がよみがえります。 それは、私の大好きな友人が、日本画で『黒いフェアレディZ』を描いていたからなのですが、あの当時、日本画のゼミで車を描くなんて考えられないことだったのです。 なぜ、考えられないことだったのか? と、問われれば、自由にやっている“つもり”でしかない自分達がそこにいたと答えるしかありません。 あの時、私も“つもり”だったのでしょう。 (本当に自由にやっていれば、考えられたということです) 13年経った今、私が車を描こうという気持ちになったことを、私自身が一番驚いています。 しかし、描くということに素直になれた今、高校時代に芸大に進学しようと決意したその時は、工業デザインを学んで車のデザインをしようと考えていたことを思い出しました。 そういえば、最初は車やバイクのデザインがしたかったんです! でも、私はキャンバスの中の自由な世界に憧れてしまった。 シャガールの作品の中の人物のように、私も空を飛んでみたかったのです! そう!そうなんです。 自分の“無知と仕方のない欲”のせいで、日本画の伝統をよく理解しないままそこから離れようとする“勝手な解釈”と、現代芸術への多様のようでそうでもない、誰でも手が届きそうだという“勝手な憧れ”に、完全に捕われてしまいました。 結果、10年以上もその“キャンバスの中の自由を”失ってしまいました。 『生きていくには様々な制約がありますが、キャンバスの中には全くの自由があるはずです。』 今思い返して、卒業製作で一番印象に残っている作品は友人の描いた“Z”の絵だというところが、私の持っている自由な個性だといえるのでしょう。 *この辺りのクヨクヨ話しの引き出しは、10年分たっぷり溜まっていますので、我慢して付き合ってくださいね! そしてヨンパチ! 20号で描きました。  1948 20号(727×606mm)
まずは作品紹介です。 WLAを角度を変えて、20号と少し小さめのパネルに描きました。 動きを感じるアングルです。  WLA 20号(727×606mm) 本当にバイクを描くことは楽しいです! 大きい画面で、同じアングルのものをまた描いてみようと思います。 そして、MYACEの側面に、日本画MOTORCYCLESのステンシルを入れてみました!!! 最近、自分でも運転が荒いと感じるので、看板を背負って“見られてる”という意識を持って安全運転!という決意表明です。 更には、この活動を本気で頑張るぞ!という意気込みと、このHIACEに10年以上乗るぞ!という決意表明でもあります。  *スネークモーターのステッカー達は、所ジョージさんからいただいたものです!!! でも、ステンシルってすっごく楽しいです。  いっぱいスプレーしたくなります。
この時代のバイクの特徴なのか、本当に曲線のみで形が作られています。 直線はほとんどありません。可能な限り曲線で組み上げられているように思います。 ここまで、曲線ばかりだと何か生物的なにおいがします。 まさに“生きているものの形”です。 「自然から学べ!」と、日本画のアカデミズムは訴えますが、その一つの要因として、日本画の素材自体が有機的であったり、生きているものをモチーフとして描くことに適している、ということが挙げられます。 もしそれが間違っていないとすると、Vintage Harley-Davidsonは、日本画の画材で描くことに適しているモチーフであると言い切ってしまえるように思います。 全体からも細部からも、無機質な感じがせず、どうしても生き物のように感じてしまいます。  Flathead F20号(727×606mm) *私が尊敬する美術家の 中島麦(なかじまむぎ)さんがblogを始めたそうなので早速リンクしました。 私はへんこですから、尊敬する美術家なんてそうはいませんよ。
再度、WLAを描かせていただきました。 この絵を描いている最中に、良い作品が出来るときの特別な体験をしました。 “見えざる手によって描かされているような感覚” 本当におおげさな言い回しで、自分でも馬鹿かと思うような褒め方に聞こえますが、実際にあれだけすんなりと何の障害もなくこれだけの作品が仕上がってくると、もうそこにいる自分は、描いているというより、描いているところを横で見ているような感覚になるのです。 とにかく、いい作品がさらりと仕上がって行く。 そこに私の意思はなく、横で見てドキドキしているだけなんです! 最近感じたことはなかったのですが、バイクを描くようになってから度々あります。 しかも今日は、今までの作家人生を振り返って、描いている途中に涙が出てしまいました。 こんな作品が描けるのも “船場”様のご好意と、Harley-Davidsonというメーカーのおかげです。 本当にありがとうございます。  WLA 1810×920mm *WLAは、第二次世界大戦中にソ連が3万台購入するなど、9万台以上が製造されたそうです。 *この作品に使用している箔は、新光箔といって、銀を染めて薄く延ばした着色箔です。 この色はサックス(サックスブルー)です。 こんな、えげつない色の箔、どこで使うねん!と、ずっと思ってきましたが、この作品ではこの色意外にやりようがないといわんばかりにマッチしています。 こんな使い方があるのですね! しかし、ものすごく扱いづらい箔で、普通、箔といえばヒラヒラしているものですが、この箔はパリパリしているのです! 油断するとすぐわれて細かくパラパラ飛んで行ってしまいます。 こんなのどうやって製造するのでしょう。 頭が下がります。
| HOME |
次ページ ≫
|